1970年代の「ギャラン・FTO」の名を継承した、三菱FTO。
このころの三菱はディアマンテの大ヒット、GTOによる280ps競争参入、
RVRやパジェロ等オフロード系自動車の販売好調など元気いっぱいで、
その勢いに乗るかのように出たのがこのFTOでした。
三菱側の販売事情で2000年に生産終了致しましたが、
間違いなく心に残る愛すべきスポーツカーでした。
GTOにつづいて往年の名を継ぐクーペ、FTO
三菱自動車工業株株式会社は、1990年10月に先だってフラッグシップ・スポーツカーとなる「GTO」を発売しておりました。
その弟分的存在のようにみえた、このFTOが4年後の94年10月に発売開始。
このときのFTOのCM、「かなりきてーる 感じてーる♪」 ていうCMソングが今でも耳に残っております。
デビュー時はまさにスポーツカーが我が世の春を謳歌していた90年代。GTOがそのサイズや維持費面で手に余る、その空いた顧客層を埋めるのがこのFTO、かのように見えました。
実際、初年度わずか2ヶ月で7000台以上、翌年には20,000台以上を販売しております。(情報:wikipedia)
'94-'95カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。
プラットフォームは三菱お家芸な4WDではなくFF、エンジンはV6の2000ccを横置き搭載。廉価モデルとなる直4・1800ccもラインナップ。
FTOで特筆すべきはトランスミッションそれもATで、国産初のマニュアルシフトつきAT、「INVECS-II」を採用。
しかし、97年あたりから販売台数に陰りが見え始め、99年には登録台数680台とついに1000台を割るようになり、2000年に三菱自動車から「側面衝突安全基準に適合させると採算がとれない」という理由からGTOとともに生産終了。
スポーツカー氷河期到来とともに、その役目を終えたかのように幕を下ろした車種でした。
FTOデビュー翌年の95年に私の愛車ミラージュが廃車となりまして、次のクルマを模索していたのですが、
このときFTOは「販売好調」で、街中でもよくみかける車種となっておりました。
そして、私の乗り換え対象から除外。ハヤリは昔も今も苦手でして。
もうひとつの裏話として、当時三菱系自動車パーツ製造の下請け会社に努めている友人がおりまして、
「FTOは絶対やめとけ」
とかいわれました。
欠陥とかじゃなく、使われる部品が安物ばかりだった、とのこと。今じゃ情報漏えいですな。
この記事は、収集した資料と当時の私の記憶を基に作成致しております。
差異などがございましたら御一報いただけると大変助かります。
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