CR-Xの歴史と、CR-Xデルソル誕生
CR-Xとは、かつてホンダが発売していた1.5lクラスの小型クーペ
1983年、ホンダは小型で軽量なスポーツカー、バラードスポーツ・CR-Xを発売、
FFライトウェイトスポーツというジャンルを確立し絶大な支持と人気を得ました。
バラードスホーツ CR-X (1982〜1987)
キャッチコピーは「デュエット・クルーザー」。発売当初はCM含めあまりスポーツ感を表に出すことはなく、ふたりのためのおしゃれな乗り物というイメージでしたが、「FFライトウェイトスポーツ」の言葉通り、車重わずか800kg、よくまわるエンジン、短いホイールベースゆえ抜群の旋回性能、間違いなく硬派なスポーツカーでした。
1987年9月、2代目へフルモデルチェンジ。
バラードスポーツの名は外れ、より本格的なFFスポーツカーへと発展、CMのキャッチコピーは「サイバー・スポーツ」。
初代の血統を受け継ぐモデルとして人気を博しました。
2代目 CR-X (EF系)
キャッチコピーから「サイバー」「サイバーCR-X」と呼ばれ、他車オーナーからは(峠バトルやジムカーナで負けた等)ひがみを込めて「ゴキブリカー」「ミズスマシ」とも呼ばれました。
そして1992年3月、3代目CR-Xがデビューしました。
その姿は、それまでのCR-Xのイメージとはかなりかけ離れたものでした。
3代目 CR-X デルソル
キャッチコピーは「太陽のスポーツ」。
「デルソル」というサブネームが追加され、FFライトウェイトスポーツという単語は使われなくなりました。
ホンダはCR-Xからスポーツカーのイメージを払拭。 初代CR-X発売当初の「デュエット・クルーザー」に戻ったという説もありますが、ここまで変わると完全な路線変更です。
最大の特徴は、ハードトップクーペでありながらも、電動でルーフが開きトランクに格納するシステム、「トランストップ」。
リアトランクが垂直にせり上がり、
トランクリッド(フタ)がケース状になっていて、その中からアームが出てルーフをがっちりつかみ、
フタの中へしまい込む、おそらく世界初&唯一無二のシステム。
手動で脱着するタイプのマニュアルトップも用意されました。
インテリア 写真はAT車
しかしこれはいわば「攻める走り」には不要のアイテム。
走行性能については、DOHC-VTECを積んでいますから申し分はないはずなのですが、
自動車雑誌などが行ったテスト走行やタイムアタックでは先代サイバーCR-Xのほうがタイムも早くテストドライバーの評価も高く、
CR-Xデルソルの評価は惨憺たるものでした。
当然、走りを追求したかったユーザーは、CR-Xを対象外にしていきます。
その後も各メディアからの酷評は続き、
車両販売台数は伸び悩み、
サーキットを走るベース車として採用されることもなく、
走り屋と称されるスポーツ走行好きな連中からも相手にされず、
各パーツメーカーもオプションパーツの開発をせず、
自動車雑誌に乗ることもなく、
ディーラーは展示車を早々に撤去、
次第に世間から忘れられていくようになりました・・・・
しかしそれも25年以上前の話。
当初低評価だったものが、時を経て再評価されるのは、映画やアニメではよくあります。
このCR-Xデルソルも、今では珍しがられ、
対向車両から なんだあのクルマは のような視線を浴びることも多くなりました。
とはいえ、
なぜこれまでのCR-Xファンを捨ててまで、FFライトウェイトスポーツを自身で確立しておきながらあえてその路線に沿わないクルマにしたのか、
本当の理由は続きのページにて。